昭和四十五年七月十七日 朝の御理解
御神誡 「一、まめな時家業をおろそかにし物毎におごること。」
健康な時仕事を疎かにして物毎に驕ることと、それを戒めておられる訳ですね。 ここのところを信心のまめな時とでも申しましょうか、平穏無事とでも言おうか。信心させて頂いて大した事もないという時、家業というてありますけれど信心を疎かにし、いうなら信心をいい加減にしておるという事。これは私自身、物心つく頃から金光様という信心を頂いております。ですから自分で子供の時から思うておったのは、自分は信心させてもろうて大きなおかげを頂きたい。それを、いうなら真(しん)のおかげという事だったんでしょうねえ。本当のおかげ。どうせ子供の時から商売人で立ちたいと思うておりましたから、商売で大きなおかげを頂きたい。自分の力とか知恵というものは、自分で知っている。けれども、神様のおかげを頂けば出来ん事はない、といったような、いうなら甘い考えがいつも私の心の中にあった。なる程、おかげを受けましたですねえ。大した信心は出来んでも、やはり神様のおかげだなと思うようなおかげを頂き、特に私が北支の方へ参りましてからは、あちらの十年間というのは本当に、まあ、いうならめざましいおかげでした。その事がおかげ頂きましたけれども、終戦と同時に又、家族の者が裸で引き揚げて来なければならないというような結果になった訳です。それはお国のせいだと、戦争のせいだと、負けたからだとは、やはり思えませんですね。やはりそういうひとつの運命というか、いわば裸になってしまわなければならないような事であった事がです、私の当時の信心の中に、こういう結果になったんだと、してみると今までの信心というのは、これは本当の信心ではなかったんだ、今までの信心は間違っていたんだと、気付かせて頂いた。そこのところを今日は「まめな時、家業を疎かにし物毎におごること」と。これは信心の無い方達でも、こういう金言的な事はありますよねえ。「若い時の苦労は買うてでもせよ」とかというのは、そうでしょう。若い時にしっかり働かなきゃならんという訳なんです。ところがそういう若い時には、テレンパレンしておって、しかも贅沢三味な事をして、そしていよいよ行き詰まってから「あぁあ」と世の中をはかなむといったような結果になってはならないぞという事なのです。けれども、今日、私は只今申しましたように、信心のまめな時、信心がいうならとりわけ大変な困ったとか難儀という事ではなくて、何とはなしに子供の時からおかげを頂かなければ出来ん。それには、せっかく頂くなら大きなおかげを頂こうと、そして大きな御用をさせて頂こうという思いは、いっぱいございます。「大きな商売人にならせてもろうて、大きな御用をどんどん出来るような私にならして頂きたい」というのが夢であった。その夢が終戦と同時にもろくも崩れてしもうた。そこでそれを敗戦のせいとか、お国のせいという風に思わずに、私は今までの信心は間違っておったんだと気が付いた。そこでこれからは、ひとつ本気で本当の信心を求めての信心。いわゆる、おかげを求めておった信心は、このように無残に崩れてしもうたのですから、これからは、本当の信心を頂こうと念願させて頂くようになった。それから、いよいよぎりぎりの自分を見極めるようになった。そして自分という者が、いわゆる物毎におごるどころではない、自分自身という者のです、実相とでも申しましょうか、本当の姿というものを分からせて頂く時に、とても自分はです、食べる資格のない私である、着る資格のない私だというようにです、自分をそこまで見つめさせて頂くようになった。というて食べん訳にはいかん、着らん訳にはいかんのだけれども、お許しを頂いて一椀のお粥さんが私の命の、いわば本当の糧(かて)であった。
夏もなからなければ、冬もない。夏服一枚が私の着る着物であった。実は、これすらも着る資格のない程しの私という者を見極めた。そこからです、いわゆる本当の信心を目指したものの姿があると私は思うですねえ。だから今までの信心は、丁度まめな時家業を疎かにしておるような信心であった。いわば、おかげおかげというておる信心であった。少しおかげを頂くと、それこそ事実の上に物毎におごるというというか、資格もないのに着たり資格もないのに食べたりしておった。贅沢三昧でしたねえ、いうならば。そういうような生き方がいかに間違いであったかということを気付かせて頂いた。そこから只今申します、終戦、引き揚げ帰って参りましてからの信心というのは、もうおかげを求めるのではなかった。いわゆる、本当の信心をさせてもろうて、本当のおかげを頂こうという信心であった。今までは本当の信心はいい加減にしとって、おかげだけは大きく頂きたい。そのかわり殊勝な心とでも申しましょうか、たくさん儲け出したならたくさん御用にも立たしてもらおうといったような考え方を持っておった。まぁいうなら「百万円の宝くじに当たらせて下さい。半分は神様にお供えします」といったような甘い考え方だったというのです。それでも、やっぱ何十年間はお許しを頂いておかげを受けてきたが、いよいよ終戦と同時にそれがもう、ぎっちりそういう生き方ではいけない事に気付かせて頂いて分からせて頂いて、そこから初めて何十年ぶりに真の信心、本当の信心というものとは、という信心。本当な信心を分からしてもらおうという生き方。そして自分という者を見極めた時にです、自分は食べる資格もない程しの自分であったと、初めて夢がさめて、初めてそこに気が付いたという感じなのです。着る資格等さらさらない。けれども裸でおる訳にはいけんから、なる程、洋服をもたん訳じゃなかったのです。着物がなかった訳じゃなかった。けれども資格のない自分であるという事を分からして頂いたら、いわゆる夏服一枚で過ごさせて頂く、それでも着せて頂いておる事が勿体ない。まだその洋服が今残っておりますがね、袖口がそでますからここの所は折り曲げて、ずーっと折り曲げ折り曲げしますから短うなっとる。襟の辺はもうすり切れてしもうとる。夏も冬もその服一着、食べる物というては一椀のお粥だけ、それを一食。それでも実をいうたら、食べる資格がない。親にですら子供にですら、まともに食べさせきらん程しの私であると思う時に、とても自分が安閑として自分が腹いっぱい食べるなんてん事は、夢にも思わなかった。そしてその一椀お粥さんが、それはそれは大変な尊いものであり有り難いものである事が分かってきた。夏服一枚がいよいよ有り難いものに分かってきた。そして只々ひたすら本当の信心、真の信心を目指して、もう本当に一生懸命の修行させて頂いた。だからそれまでは、今日の、まめな時家業を疎かにし物毎におごる事的な信心であったという事である。なる程、信心はさせて頂いておる、しかも自分ではよい信心と思うておった。それは北京から儲かるとお供え物をどんどん教会に送る、だからそれが出来よりゃよか信者のように思うとる。それが、はたと行き詰まってしまった。それはお国のせいだ、戦争のせいだとは思わなかった。今までの信心は間違いである事に気付いたところに、私の信心は有り難かったと思うのです。「今までの信心じゃ駄目だ。今までの信心は間違っておったんだ」と気が付いた。皆さん、だからおかげ信心というのは、そんなにつまらんもんですよ。ですから、それはよい私の手本であり見本ですから、皆さんはもう初めからひとつ本気で真の信心を目指して真のおかげを頂かなきゃいけません。私はその時、真のおかげとは思わなかった、大きなおかげを頂こうと思うた。そして大きく御用に立たしてもらおう、いかにもそれはよい信心のように見えるけれどもです、実はそうじゃない事が、私は身をもってそこのところを体験した。そして真の信心、いわゆるぎりぎりのところから発足した信心がどういう事になったかというと、着る資格もなからなければ食べる資格もない、という程しの自分という者を発見して、そこから真の信心を少しずつ分からして頂くに従って真のおかげが表れてくるようになり、真のおかげが頂けるようになってきた。真のおかげ、真(しん)のおかげという事。真のおかげというのはどういう事かというと、それはその人の信心なり徳なりでしょうけれども、必要なものが必要に応じてという信心である。そういう難儀骨頂の時代でありましても、確かにそんなら一日でも食べなかったという事はなかったし、子供達でもそれはどんぐろすのようなオーバーではありますけれども・・・今の若先生が小学校に行きます時には、引き揚げの時に頂いたどんぐろすのような毛布があった。その毛布で妹がオーバーを作ってくれた。というようにですねえ、やはりその時その時なりではあってもおかげを頂いた。 今、学院に行っております愛子が四つ、五つの時分に引き揚げて帰った時に、ボロのようなものをつぎはぎにしてえんじ色に染めて、愛子が着せてもろうておった着物が今も残っております。この頃、家内が「これはもう記念じゃから」というてあの時分の物が直してある。本当にそれを見ると、丁度お芝居の時出てくる、<ふじうらうり>の娘が着ているような着物である。そういうものではありましてもです、裸ではおらなかった。それにふさわしいというか、丁度いいものが食べるものの上にも着る物の上にもおかげを頂いておった。それが段々、信心が五が十になり十が二十になる、という時には二十だけの着物が食べ物が与えられてきておった。いうならば、必要なものが必要に応じて頂けておったという事なのである。
私は今朝方、大変愉快なお夢を頂いておった。というのはですね、テレビじゃないけどテレビのようなもの、食べ物が映るとそれがどんどん臭いがしてくる。それが手を出すと食べられる。だから今度は着物が写るとですね、これがいいというのが出てくると画面からそれを引き出しよるというところのお夢であった。 そういう便利な事になったら、どういう素晴らしい事になってくるであろうか。これはとてもそういうテレビがあるなら、これはいくら金出したっちゃ買うとかんならんというごたる気持ちがしますねえ。画面に映る食べ物がそのまま食べられる、画面に映ってくる着物がそのまま引き出せる。そういう重宝なテレビがあるなら、それは百万が一千万出したっちゃ買わせて頂いたら、こういう便利な事はなかろうという、そんなお夢であった。私は信心の徳というのは、そうだと思います。必要なものが必要に応じて頂ける程しのおかげを受けられるという事が信心なんです。それが、私がそんなら終戦この方、求めて求めて来た真の信心というのは、今が今日まで、続けてきた信心、まあ現在だって真の信心とは言えないかもしれませんけれども、その真の信心を、いよいよ目指しておかげを頂いておる。おかげを目指してじゃなくて、真の信心を目指しておかげを頂いておるという事。その真の信心を目指して、こうやっておかげを頂いて参りましたら、その時その時なりではありますけれども、必要なものが必要に応じて頂けれるようになるだけではない。天地が自由になる程しのおかげが受けられるようになってきた。
今度、例えば東京行き五日間でしたか、事なんかのことを振り返ってみてから
まあ、何時ものことだからあんまり感動し「ああ、間違いのないこつじゃなあ」と言いながら、そう大変有り難い事とも思ってない程しにおかげを受けておることですけれども、天候の上にでも、もうそれこそ、それこそ涼しなからなん時には涼しい。例えば万博の見物させて頂く時なんかは、私が全然汗をふくと言うことがなかったんですから、勿論水を頂くという事もなかった。十時間近くを、いわば万博の中をうろうろしとりますけれども、おかげで暑さもおぼえん程しのおかげを頂いて、もう涼しい、その翌日行かれた方はその何時もの倍だったそうですね、人間が。ところがその時は何時もの半分しかなかった、そりゃ帰ってから分かりました。だから、もうとにかく何時間座り込んどってから見らんならんというところが、ずーっと見れるんです。まあ、見れる見れんじゃない。例えば天候の事だってそうです。もう涼しくて涼しくて薄物では寒いごたる。というように、そういう事が五日間続いたんですよ。そん時そん時ね。私共が歌舞伎に招待を受けさせて頂いた時、そん歌舞伎の中だけでした、しのつく雨がそん時、行く時にゃそうじゃなかったというようにですね、ほんとに天地が自由に私の為に自由になって下さるんだなと思える程しのおかげが、段々頂けてきたんです。食べる物、着る物一切同じ事「ほう、こりゃ二十万もするもんですか」というような着物でも、着せて頂ける程しにおかげを頂いてきた、ね、求める訳でなし買う訳でなし、必要なものが必要に応じて、さあ飲み物なんかでもそうですね。もうここの冷蔵庫をいっぺんあけてみてごらんなさい、もうあらゆるものがです、それこそ百味の恩じき的なものが飲みたいというものは、ちゃんと入っとる、食べたいというものも入ってる。買うて来てそろえとけというた訳でもなし、というようにおかげを受け、それこそテレビで夢の中に頂かしてもろうたテレビじゃないけれどね、画面に映ってくる食べ物がそのまま食べられる。画面に映っている着物が、そのまま引き抜けれるという程しの便利なというか御神徳というのはそのように有り難いという事なんです。それはどういう事かというと、私がおかげおかげとおかげを求めてた信心からではなくてね、ほんとに今までの信心が間違っておったという事に、何十年ぶりに気付かして頂いて、いわゆる真の信心を第一歩から、食べる資格もない着る資格もない私から出発して着る事が許され、食べる事が許されすべてが許される、段々おかげを頂いてきたという事なんです。皆さんそのような、いわば調法な事なんです、ね。真の信心によって受ける真のおかげというものは、しかも無人造限りがないのですよ。そこでどうでも一つ私共がね、おかげ信心から真信心に、ほんとに一つ開眼しなければならない。「今、天地の開ける音を聞いて眼をさませ」とおっしゃるが、神様ちゃ御利益受ける神様じゃなくて真の道を教えて下さる。人間の本当の生き方を教えて下さるのが神様なんだ。そのあり方に表れてくる、願わん頼まんでも頂けるおかげを頂かしてもらう所に、有り難い勿体ないという事になるのです。
昨日の一時の御祈念の時に、御理解三十四節を頂きました。「ここへ参っても、神の言うとおりにする者は少ない。みな、帰ってから自分のよいようにするので、おかげはなし。神の言うことは道に落としてしまい、わが勝手にして、神を恨むような者がある。神の一言は千両の金にもかえられぬ。ありがたく受けて帰れば、みやげは船にも車にも積めぬほどの神徳がある。心の内を改めることが第一なり。神に一心とは迷いのないことぞ。」ということである。だが、これを何時ものように理解づけるということは、まあ簡単ですけれども、昨日は全然、方角の違ったところから御理解頂きましたね。それをね、どういうことを頂いたかというと、私は歌舞伎のお芝居の「くるわぶんしょう」というのを非常にお正月にするらしい。舞台には門松なんかが立ってですね、いわゆる初春の昔の江戸時代の姿が、そのまま映されておるといったようなお芝居なんです。現在は大きなくるわやの場面、これが今日の御理解じゃないけれども大変な物持ちです。息子が非常に遊蕩児ですね、いわゆる物事におごり、そしてあんまりお金を湯水のように使いますから、とうとう勘当を受けてしまう訳です。それでお金が切れたのが縁の切れ目、もうお店もそれを相手にしませんから仕方がない、というて仕事ひとつしきる訳じゃないですから、とうとう終いには紙で作った着物を着らねばならない程しに、落ちぶれ果ててしまう。そういう筋なんです。いうならばですね、私のそんなら過去の信心ですねえ、まだ終戦以前の信心がそんなもんじゃなかったろうか。壮健な時、家業を疎かにし物毎に驕る事。遊蕩児ではなかったけれども、信心にたとえるとそういう遊蕩児的な信心であった。大きなおかげばかり願っておる、楽なおかげばかり願っておる、そして真の信心にはひとつも身に入っていないという事。なる程、拝む事は拝んだ、お供えはどんどんさせてもろうた、そういう事が信心だと思うておった。ここのところをそういう風に当てはめてもらいたい。それでもやはりその昔の夢を忘れかねて、いわゆる紙の着物を着て深網笠をかぶって又、女に合いに来るというところから始まるんです。そしていわばいよいよこりごりしただろうというところから、いわば勘当を許されて好きな女と一緒になるというお芝居なんです。
私はですね、信心もやっぱりそういうところを通るようです。私の今日の話を聞いて下さったらそんな感じが致します。昨日も私、この三十四節の事についてから御理解を頂こうと思うたら「くるわぶんしょう」と頂いたからどういう事であろうかと思うと、やはりくるわはくるわですけれども内容が全然反対である。あの紺屋高尾の御理解が出ていますねえ。「女は客に惚れたと云い 客は来もせで又来ると云う うそとうそとの色里で恥もかまわず身分まで よう打ち明けてくんなまんした」という、これは浪花節の文句なんです。これはくるわ遊びをしたというのじゃない。初めてくるわ通いをしたその人の真実が花魁に響いたというのである。ここのところをもういっぺん読ましてもらいましょうか。
「神と氏子の真実がぶつかり合う。火花を散らすほどのものがあって、はじめて真の神の真実にふれる事が出来るのである。」と。私共の過去何十年の信心は、そういうものではなかったという事である。その後の終戦こっちの信心がです、例えば神様と私との、いわゆる真と真とのいわゆる真の信心が分かりたいという一念と真の信心が分からせたいという神様の願いとがです、真のおかげを頂きたい、真のおかげを渡したいという神と氏子とがです、それこそ真と真がぶつかり合うて火花を散らすほどしのものが、私の過去の修行時代の信心であったと自分で思います。それに何ぞやです、お互いの信心を見てご覧なさい「毎日、日参りを致します」と云いながら、すらごと云いよるじゃないか、「もう有り難い、こげな有り難い神様はなかと思います」と云よってからスパーッと信心を止めてしまうじゃないですか。本当に例えば、ここに浪花節の文句じゃないけれども、 「女は客に惚れたと云い 客は来もせで又来ると云う」とこれと同じでしょうが。これじゃおかげの受けられるはずがない。過去の私の信心はそれであった。受けられておるようであっても本当の真実は神様は見せて下さらなかった。そこのところをです、恥もかまわずに身分までもいわば赤裸々にです、真実を打ち向けたところへです、そこから相手の真実を射止める事が出来た筋の紺屋高尾の浪花節の一節なんです。いわゆる「くるわぶんしょう」と「紺屋高尾」のそれを対照してみるといいですねえ。「そこから女の真実を射止めたようなものではなかろうか。私共の場合、神に嘘や駆け引きがあるような事はあるまいか?神に一心とは迷いのない事ぞ」である。と昨日の御理解にあります。そこでです皆さん、なる程おかげが受けられんはずだという事をひとつ分からにゃいかんです。お互いが・・・。神様に嘘ばっかり云よる、駆け引きばっかりしよる、そういう信心では神様もやはりその程度のおかげにしかして下さらないという事。真実と真実がぶつからなければです、火花を散らす程しの事になってこなければです、おかげにはならんという事。初めてそこに到った時にです、壮健な時、家業を疎かにする事も出来ません、物毎に驕る事も出来ません。けれどもその時には必要なものが必要に応じて、今朝から私がお夢に頂いたように必要なものが必要に応じて頂ける程しのおかげを頂くならばです、そういうもし、テレビがあるならば百万が千万出しても買うとかなければならないように、そういうもし道があるならば、それはどれだけ元をかけてもいいじゃないか。そういうおかげが受けられる道があるならばです、どれだけ修行してもよいじゃないか、どれだけ元をかけてもいいじゃないか、しかもそれがです、孫にも子にも残る、あの世にも持っていけるという程しのものならです、どのように打ち込んで私共が真の信心を身に付けておくという事が有り難い事かという事が分かるじゃないか。それに私共がです、いつまでもいつまでも何か神様をごまかしたような信心、それでやはりおかげは頂きよるけれども、それは神様もごまかしたようなおかげでしか下さらんのです、いわゆる本当のおかげにはならんのです。そういう私共がね、おかげを目指してもらう、信心を頂きたい。「壮健な時、家業を疎かにし物毎に驕る事」とこれは、この事だけを説明致しますと、いわばこの通りなのです。けれども理解ずけて申しましたら、ここのところは丁度、私の過去の信心、何十年間、いわゆる子供の時から北京時代までの信心を丁度このような信心ではなかったろうか。今日の御理解の中でいうなら「くるわぶんしょう」のようなものではなかったろうか。そこからです、例えば紺屋高尾的な信心に、こちらがならして頂いたところからです、「神の云う事は道に落としてしまう」ではなくて、神様の云うて下さる事は、例えば嘘と思うてもそんな事はと思うてもです、泣く泣くでもその事を「はい」と承ったという事。そこに船にも車にも積めぬ神徳があった事を今にして思うのです。そこから必要なものが必要に応じて頂けれるようにおかげ、いや天地が自由になって下さる程しのおかげが頂けてくるようになっておる。
私が完璧という訳ではありません。けれども完璧を目指して、これからの信心を続けていくならば、そこんところがもっともっと垢抜けしてくるのであると私は確信します。どうぞ。